マレーシア建設プロジェクトにおける保留金(Retention Sum):実務ガイド(2026年版)
保留金(Retention Sum、Retention Money)は、マレーシアの建設契約で広く用いられるリスク配分の仕組みです。工事の適切な完成と瑕疵の補修を担保することを目的とし、施工期間中の中間払い(interim payment)から段階的に控除されます。控除率は一般に5~10%で、契約上の上限(cap)が設けられるのが通常です。
実質完成(Practical Completion)の時点で、保留金の半額が解放されるのが一般的な慣行です。残額は瑕疵担保期間(Defects Liability Period, DLP)の間も留保され、すべての瑕疵が補修され、最終勘定(final account)が認証された後に解放されます。
保留金は広く採用されている一方で、キャッシュフローへの影響や、発注者と請負者の間での契約解釈の相違から、混乱や紛争の原因になりやすい項目でもあります。
要点(Key Takeaways)
- 保留金は性能と瑕疵補修を担保する契約上の仕組みであり、マレーシアの法律で義務付けられた制度ではありません。
- マレーシアでは、保留金の条件は標準契約書と一般的な契約法によって規定され、支払紛争の解決についてはCIPAA 2012が機能します。
- 日本では、下請への支払いは建設業法により法定の支払期限が定められており、長期にわたる支払留保が制限されています。
- マレーシアのSST(サービス税)上、保留金は工事が認証された時点で、実際の支払いの有無にかかわらず課税対象の一部を構成します。
- 保留金の管理が不適切だと、キャッシュフローの逼迫、税務上のリスク、瑕疵責任をめぐる紛争につながる可能性があります。
日本における保留金
日本では、特に支払時期と留保の慣行に関して、建設業法(Construction Business Act, CBA)に基づき、下請への支払いについてより規制された方法が採られています。
下請への支払い(法定の規制)
- 保留の明示的な禁止はない:建設業法は保留金が禁止されているとは定めていません。ただし、いかなる留保も、法定の支払期限を超えて支払いを遅延させてはなりません。
- 厳格な支払期限:建設業法第24条の3および第24条の6に基づき、元請は下請に対し、次のいずれか早い期日までに支払わなければなりません。すなわち、注文者から支払いを受けた日(完成または出来高に対するもの)から1ヶ月以内、または、下請からの引渡しの申出日(特定建設業者または資本金4,000万円以上の法人を除く)から50日以内の、いずれか早い方です。
- 禁止される慣行:工事完成・検査・引渡しの後、長期間にわたって保留金を留保すること。
- ベストプラクティス:留保分を含む下請への支払いは、請負者の規模や資本金にかかわらず、工事完成・引渡し後できる限り早期に行うべきです。
発注者と元請の間の保留(契約自由)
下請を保護する厳格なルールとは異なり、日本の建設業法は、発注者(施主)と元請の間の保留金については規制していません。そのような元請契約における保留は、日本の民法上、純粋に契約自由の問題です。法定の支払期限は適用されず、保留の金額や解放条件は、交渉された契約によってのみ決まります。
マレーシアの契約上の枠組み
マレーシアでは、保留金は単一の法律で規定されているわけではなく、建設契約の中に組み込まれ、一般的な契約法の原則によって支えられています。
CIDB、JKR、PAMといった標準契約書では、通常以下が定義されています。
- 保留率(retention percentage)
- 認証と解放の段階(certification and release stages)
- 留保・相殺(set-off)の条件
CIPAA 2012(Construction Industry Payment and Adjudication Act 2012)は、認証済みの支払い(保留金の不当な留保を含む)に関する紛争について、法定の裁定(adjudication)制度を設けることで支払い保護を強化しています。CIPAAは保留金の慣行そのものを廃止するものではありませんが、紛争を迅速かつ執行可能な形で解決できるようにしています。請負者は、契約の紛争解決条項に応じて、CIPAA 2012に基づく裁定、または仲裁・訴訟を選択できます。
プロジェクト経験からの実務的考察(日本関連の契約について)
日本のお客様が関与するプロジェクトでの当社の経験に基づくと、保留金の実務上の適用は、採用される契約形式や契約体制によって異なります。
契約形式は顧客の要件によって決まる
- 日本のお客様によって、採用される契約は、プロジェクトの体制や調達方針に応じて、マレーシアの標準契約または日本の標準契約のいずれかに従う場合があります。
用いられる主な契約テンプレート
- マレーシア形式:通常、PAM標準契約書に基づきます。
- 日本形式:一般的に、(i) 日本建設業連合会(日建連)が公表する「日建連設計施工契約約款」、または (ii) 「民間(七会)連合協定工事請負契約約款」のいずれかに基づきます。
元請契約では保留金は一般的でない
- 用いられる契約形式にかかわらず、当社が工場・プラントのオーナーに対して元請として工事を行う場合、保留金は一般的に適用されません。
- こうした直接契約の体制では、保留金を留保しないケースが多くあります。
下請構造では保留金が一般的
- 当社が日本のエンジニアリング会社の下請として関与する場合は、その会社の社内の支払慣行に従って保留金が留保されることが多くなります。
保留金保証(Retention Guarantee)による早期解放
- 日本のエンジニアリング会社によって保留金が留保される場合、銀行が発行する「保留金保証(Retention Money Guarantee)」をエンジニアリング会社に差し入れることで、最終保留金の早期解放を交渉できることがよくあります。
よくある論点と紛争
保留金は、その管理上の目的にもかかわらず、建設プロジェクトで最も頻繁に紛争の原因となる項目の一つです。
- 解放の遅延:保留金が契約上の定めよりも遅れて解放されることが多く、特に中小の請負者にとってキャッシュフローの圧迫要因となります。
- 瑕疵をめぐる争い:発注者が瑕疵の存在を理由に保留金を留保することがあり、その瑕疵の重大性や契約上の根拠が争われる場合があります。
- 発注者の倒産リスク:発注者が支払不能に陥った場合、契約上の保護が確保されていない限り、請負者が保留金を回収するのが困難になることがあります。
- 透明性の欠如:計算根拠・控除・解放の仕組みが不明確だと、当事者間の不信や紛争を招きます。
保留金とSST(サービス税)
保留金は、マレーシアのSST(サービス税)上、特にサービス税がいつ納付義務として発生するかを判断するうえで重要な意味を持ちます。
SSTの主な取り扱い
- 課税対象に含まれる:建設役務が認証された時点で、保留金も課税対象となる対価の一部を構成します。
- 通常の支払いと保留金とでタイミングの基準が異なる:通常の出来高払い(progress payment)は実際の支払い・受領に基づいて計上されるのが一般的ですが、保留金については、以下に示す別個のタイミングルールが適用されます。
- 12ヶ月ルール(保留金固有):認証済みの保留金が、建設役務が提供されたとみなされる日(下記参照)から12ヶ月を経過しても未払いの場合、たとえ顧客から請負者へまだ支払われていなくても、12ヶ月経過の翌日にサービス税の納付義務が生じます。
- 保留金の納付義務発生日の判定:保留金については、建設工事役務は、中間認証(interim certificate)が必要なプロジェクトの場合は中間認証が発行された日に、中間認証がない場合は関係当事者により工事が完成として認証された日に、提供されたものとみなされます。
- コンプライアンス上の留意点:請負者は、未収の保留金を管理し、適時・正確にSSTを申告する必要があります。
実務上の含意:保留金は現金で受領していなくても、工事が認証された時点で課税対象の対価として扱われるため、適切に管理しないとキャッシュフローのミスマッチが生じる可能性があります。
まとめ
保留金は、性能の担保と完成後の責任のバランスを取る、建設プロジェクトにおける重要な契約上のセーフガードであり続けています。ただし、その実務的な運用には、慎重な契約のドラフティング、規律ある管理、そして法務・税務上の含意への理解が求められます。
保留金の仕組みを適切に管理することで、紛争を大幅に減らし、キャッシュフローの予測可能性を高め、プロジェクトの遂行成果を向上させることができます。
なお、マレーシアで建設パートナー(請負者)を起用する際に日本企業が考慮すべきポイントについては、関連記事「マレーシアでの建設パートナー選定」もあわせてご参照ください。